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(いと)しきインド

 一九九一年、京都に住む妹が四十三才の時、インド人の「ターラ」という名の娘を三ヶ月ホームステイさせた。私は当時五十才で英語もほんの少々出来る程度だったが、インド人が珍しくて京都迄行った。
 「ターラ」は二十才で、名古屋に医療システムを学びに来ていて、両親共に臨床医で三人娘の長女だった。
“I’m very happy to see you” で握手した彼女の目はくっきりと大きく、褐色の肌、黒い髪を後ろでまとめていた。背は私と同じ位だが、背筋をピンと伸ばして憶せず私の目を真っ直ぐ見返した。Tシャツにジーンズ姿。イメージのサリー姿とは違い、二十五年前でも若者は今と共通のいでたちだった。
 日本の宗教は、圧倒的に仏教人口が多くキリスト教が続く。「インドは宗教が多数あるのね」と聞くと「ヒンドゥー教が82%、イスラム教、キリスト教、スィク教、仏教0.8%続く」と彼女は答えた。「身分制度のカースト制度は?」には「ヒンドゥー教には根強くある」と眉を曇らせた。彼女一家はキリスト教で「インドで生まれた仏教なのに日本での広がりは凄い。何故?」と不思議がっていた。私も何故? と首を傾げた。「日本も歴史ある国だが、インドの長い伝統の国に生まれ育った私はそれが誇り」と言う口調に気位の高さを感じた。
 妹の作った昼食のうどんを彼女は上手に右手で箸を使う。「母国では食べ物を、右手で直接つかんで口に持っていく。左手は不浄のもの」と言った。お手洗いの時に汚物を左手で拭き取ると聞き、思わず私は身震いした。
 広島の原爆記念館に行きたいと言う彼女を妹が連れて行くと、激しくアメリカを非難した。世界中の人がこれを見なければと、胸に十字を切ったという。この頃インドは、反米感情が強く、マクドナルド、コーラーなど一切無かったそうだ。『O・D・A』に日本も多く拠金していることも激しく非難した。そのお金でインドの3%しか普及していない電気を生み出すためダムを造り、多くの人が立ち退かされスラムに住む人が増大した。「工事は日本が任され、いい目を見たのは日本人」と言ったが(素直な感謝はないの?)と私には異論がある。
 数年後、妹が招かれてチェンナイにあるターラの家に行った。暑くて閉口したそうだが、妹の部屋にはクーラーが付いていたとのこと。自然のままに育てた野菜が小さくて美味しいのには驚いたそうだ。
 かなり昔の日本ののどかさ、素朴さ、人も動物も一緒に生きていると懐かしい気になったという。今やインドは人口11億、「0(ぜろ)」の発見者もでた数学に強い民族で、I・T関連の優れた力を世界中が認めている。生活の欧米化も進み、親日的でもある。インドの発展が中国を抜いてくれる事を願っている。
 ターラはインド最南端のコモリン岬の側で住み、医療に関わっているそうだ。

-fin-

テーマ:異文化を思う
平成二八年七月十一日

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