小町 哀(カナ)し
―なんで、絶世の美女と謂(イ)われた人のこんな姿を残してあるの。かわいそうに―
私は立ちすくみ、声を失った。
京都、洛北の補陀落寺(フダラクジ)に、小野小町老衰像が祀られていた。
鎌倉時代の作で七十㎝大の座像。黒ずんだ焦げ茶色をしている。
頭髪はなく、骨の上に皮膚を貼り付けた様な顔に、落ち窪んだ目がギョロリと前方を睨んでいる。はだけた着物の胸のあたりに、理科の標本の様な肋骨(アバラボネ)が浮き出ていた。乳房の痕跡はない。
小野小町は正式名でなく、小野に住む「べっぴんさん」という意味の通称と知った。出自も定かでない。とび抜けた美貌と才能で幾多の男を弄んだが、老後は容姿も衰え、乞食の様に方々をさすらったという伝説が生き続けている。
そして、終焉の地に、神経にザワッと触わる様な姿を仏の隣に晒している。
「だけど・・・・・・」と素朴な疑問がおこった。
私は古典に疎くて正確には理解出来ていないが、古今和歌集の小町の十八の歌には、傲慢さは感じられない。
切ない夢・叶わぬ恋を詠う哀しさ、情感が溢れている様に思う。あわあわと悩める姿が浮かんでくる。
後世の画家の描く小町像も十二単衣を長くひいた後姿になっていて、謎の人はどこまでも謎だ。
じゃ何故、こんな扱いの伝説になったのだろう。
栄枯盛衰の仏教の無常感もあるのだろう。
はたまた、美しく才たけた高嶺の花への男達、女達の畏れにも似た憧れが、憎しみに転じたのでは・・・と、識者が書いている。
そういえば、私にも似た感情の起伏はある。
有名な美人女優が高齢になり、容貌の衰えが見えると、その落差が余計に感じられ、
「あんなきれいな人やったのに」
と、眉をひそめながら、多少、心がスーッと平らになる。
美しさへの賞賛を欲しいままにして、それを足掛りに、考えられないほどのきらびやかな日々を送ったであろう人に対する、レベルの低い報復の気持ちなのだろう。
人は皆、微妙に色あいの違いはあれ、美女の傲慢さを許せないのだ。
伝説は老衰像で終わらない。
芒(ススキ)の原に倒れ、朽ちはて、骸骨になった小町の目から一本、芒が生えた・・・という凄惨な最後まで続く。
僧侶のむごたらしい話に耳をふさぎたくなり、小町への哀憫の情が強く湧く。
そして何故か今迄以上に、小町が自分に近しい者になった気がしていた。
言い伝えは幾時代も越えて人の心に住みつき、私達は小町を忘れない。
帰路寄った山科(ヤマシナ)の随心院に、小町ゆかりの「化粧(ケワイ)の井戸」があった。
私も拳ほどの石がいくつか透けて見える水面を覗き込んだ。
小町は唇に紅をさしながら、歌ったのだろうか。
「花の色はうつりにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに」
-fin-