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寿留女(スルメ)

 スルメというニックネームの女友達がいる。高校の同級生だ。
 私達の高校は元女学校だったせいか、女生徒の方が男子生徒より成績もやや上位気味で自己主張もはっきりする人が目立った。女子の制服はセーラー服に黒のプリーツスカートで、目の覚める様に明るい水色のセーラーカラーとネクタイは、一目で我校とわかる鮮やかさだった。
 その中で「スルメ」こと北野恵美子は一際ユニークだった。彼女は小顔で目のパチリと大きい可愛い顔で、少しそばかすのある赤い頬をしていた。頭にぴったりと貼りついたようなショートカットだった。特徴は鼻で、鼻筋の真中あたりから丸くしゃくれていた。凄く良く言えば『ビビアン・リー』の様だった。身長は一五六㎝で、かたく肥っていて、姿勢が良いので颯爽と歩くと豊かなバストがズンと飛び出し、プリーツスカートを太い脚で跳ね上げる様な勢いだった。
 成績は中位で、ユニセックス風な雰囲気で至極あっさりした性格なので皆に好感を持たれ、男友達の方が多かった。
『バスケットボール部』に所属していて、男勝りのメンバーと放課後のクラブ活動も楽しんでいた。
 体育館のすぐ隣に屋外プールがあり、水泳部が水しぶきをあげていた。キャプテンは浅井君だった。彼は逆三角形の筋肉質の体型で、校外対抗試合でもいつも勝者だった。五分刈りの頭の水を振り落してプールサイドを歩いてくると、ファンの女生徒がフェンス越しに見るスターだった。
 恵美子と浅井君は男同士の親友の様だった。
 ある日、浅井君が
「北野、お前、顔は可愛くてちっちゃいのに、首から下に行くにつれて段々と広がって何かスルメを連想するなあ。早足で歩くのを見ているとプリーツスカートがスルメの足みたいだ」
 と言って笑いころげた事から、恵美子は『スルメ』と呼ばれる様になったのだ。
 恵美子は一時限が終わり休憩時間になると、いつでも廊下をスルメ歩きで闊歩(かっぽ)していた。他の教室の窓から覗いて大声で話しかけ、ベルが鳴ると次の教科の先生と一緒に自分の教室に駆け込んできた。面白くて人の悪口を言わないし、むしろ庇って矢面に立つ所もあり  私も好きだった。

 昔、小学生の頃、親が連れて行ってくれた広島の漁師町で、生干しスルメが二十匹ほど棹(さお)にかけられ、平たい立ち姿で潮風に揺られているのを見た。
「きれいだなあ」とモダンアートを見る様な思いで眺めていたのを憶えている。
「スルメイカの内臓や目を取り除いて竹串に通して広げ、こうして干しとるんじゃけぇ。お嬢ちゃんの町ではもっとカチカチに乾かしたスルメが乾物屋に売っとるじゃろう」
 頭に手拭で姉さんかぶりをし、割烹着を着て日焼けした皺の多いおばさんが、珍しそうに見ている私に話かけてくれた。
 生干しスルメの足には、吸引する為のイボイボが黒いテンテンで連なっていたが、三角形の頭? と胴体はなめらかで、温かな白い色をしていた。
『海を見ているのかな。何を思っているのだろう』
 と、私は思った。
 すると、急に突風が吹き、スルメの足が一斉にめくれ上がり、皆、海の方を指さした。
『あそこが、私達の故郷です』
 と、教えていたのだろうか。

 水族館で、生きているイカを見た事がある。全長が30㎝位の赤紫っぽいのが、水槽の左下から右上へと、ひれを波の様にくねらせて通り過ぎていった。袂を翻している様だった。その横を後ろ向きに、目も止まらぬ速さで泳ぐイカもいた。
「体内に吸引した海水をノズルから噴出して泳いでいます。まるでジェットエンジンです」
 係員の説明で、イカの不思議に驚いた。他のきらびやかな魚達も同居していたので、イカは目立たない存在だった。

 父の晩酌に焼きスルメのさいたのが出て、私も1本もらった。
「かたい」とくしゃくしゃ噛みながら、私は言った。
「けど 美味しい!」と、続けた。
 噛めば噛むほどおいしくなってきて、父にそれを言うと
「そうや。瑛子、小学生でもわかるか?」
 と、笑い、もう1本くれた。
 それ以来、私はスルメが大好きになった。

 スルメの恵美子には、高校卒業後暫く会わなかったが、大学への通学電車で、偶然出会った。一つ駅違いの大学だった。
 彼女は幾分細くなっていて、タイトスカートをはいていた。生き生きした目は変わらず
「やあ、ポン(私のニックネーム)元気?」
 と、体が揺れるほど、私の肩を叩いた。
「バスケットで鍛えた手やから痛いわあ」
 と、言うと
「今もバスケ、やってるもん」
 と、片目をつぶってみせた。
 児童心理学を学んでいると言って
「将来、自閉症の子供達と関わっていきたい」
 と、真面目な顔をした。
 彼女の下車駅が来たので
「又、会おうね」
と、手を振った。
 車窓から見たスルメはタイトスカートでも、昔通りの大幅で勢いよく歩いて、改札口へ向かっていた。はるか前に見た棹に干されたスルメのシルエットがダブって見え、私は『スルメ歩き』に可笑しくなり、笑いをかみ殺していた。
『スルメはあの明るい雰囲気で、将来、悩める親子の良い相談相手になるだろう』
 と、確信もしていた。

 平成25年の秋、卒後54年目の高校の同窓会があった。今回の幹事の中にスルメもいて彼女の魅力で遠方からやって来た友もいた。水泳部のスター浅井君も出席していた。五分刈りに白髪も混じっていたが、今でもダンディで彼の周りでも人の輪が出来ていた。

「次は浅井君、スピーチ願います」
 スルメの声が響いた。
 が、浅井君は椅子に座ったまま『No!  No!』という風に、顔の前で手を振った。
 途端に
「そんなのあかん」
 と、言うスルメの声と共に、懐かしのスルメ歩きが目の前で展開された。さっささっさと浅井君に近づくと、左上腕部をむんずと掴み、立たせようとした。
 浅井君はオットットと、上半身のバランスを失った。
「スルメ、健在やなあ」
「浅井、言うこときかんと、怖いぞ」
 皆の笑い声と野次が飛び、どの顔も十八才の頃に戻っている。

 スルメは長期保存に最適で、噛めば噛むほどおいしく、昔から縁起物と言われている。結納品にも用いられるし、神社にお参りした時も、神殿に昆布、酒と並んで供えられているのを見かける。
『寿留女』という字が当てられるそうで
『なるほど、恵美子スルメは、幸せをいつまでも留め得る女性』なのだと、納得した。
『恵美子さん、素敵な味のあるニックネームを持っていて幸せじゃないの』
 今度会ったら、そう言おうと思っている。

 急に、サキスルメが食べたくなった。

-fin-

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