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仲人(なこうど)座布団(ざぶとん)

 ある山の麓、『丸池村』に弥助という広い田んぼを持った百姓がいた。64才の母親と弥助、千代夫婦に、17才のキヨと15才の小夜の二人の娘の五人暮らしだ。
 弥助の母親は器用な人で、座布団作りの名人だった。
 十年前、少しずつ色の違った格子柄の木綿で五つの座布団を作り、イチロウ、ジロウ、サブロウ、シロウ、ゴロウと名付けた。イチロウはおばあ用、ジロウは弥助、サブロウは千代、シロウはキヨ、ゴロウは小夜の物に決まった。
 キヨはおとなしい娘だったが、小夜は勝ち気で活発で絵を書くのが好きだ。丸顔の左頬にえくぼがある。
 小夜は黄と薄緑の格子のゴロウが気にいっていて、食事の時は勿論、小さい時、お手玉で遊ぶ時、習字に励む時も必ずゴロウに座っていた。柔らかくて気持ちが落ち着いたのだ。
 四六時中一緒に居るので、いつの間にか小夜が「ゴロウや」と言うと「ハイ」と話も出来る様になっていた。

丸池村という名の通り、この村の真ん中に一反ほどの丸くて深い池があった。
 村の庄屋の家はこの池の近くに建っていた。
庄屋もおばあに銘仙の大きめのお客用座布団を二枚作ってもらっていた。

 三月も終わり頃の昼下がり、池を取り囲む木々は瑞々しい葉を茂らせ、枝はその影を水面に落としていた。その枝の先端に一羽の『山せみ』が飛んで来てとまった。背中が黒と白のまだらで、頭に冠の様な羽根がある。鳩位の大きさだ。山せみはじっと水面を見ていたが、キラッと魚が水中で動いたのを見つけた途端、矢のような早さで水面に突っ込み、魚をくわえた。枝に戻り二、三度くちばしを動かし、喉を膨らませて魚をのみ込んだ。
「今日の昼飯はこれでよし」
 山せみは一人言(ご)ちた。
 丁度その時、小夜は下働きの『ヨネ』を伴って、丸池の木々の絵を描きに来ていた。
 ゴザをひき、ゴロウを置いてその上に小夜は座り、若い緑の紅葉が赤い実をたわわに付けて美しいのを熱心に紙に写していた。ヨネはゴザの端でうつらうつらとまどろんでいる。
「やあ、座布団の御若いの。今日はお嬢さんのお供で良い日光浴ができて気持ちよさそうじゃないか」
山せみは突然ゴロウに話しかけた。
ゴロウは驚いて
「山せみどんが話せるとは知らなんだ。私の名はゴロウです。お察しの通り、春のうららかな陽差しで暖まり、居眠りしそうです」
 と言った。
「ところで、お宅のおばあの作った立派な座布団が庄屋に二枚あるのは知っとるだろう。実は十日程前、おてんと様の照る日、早ようから二枚共、天日干しされていた。大事なお客がある時、庄屋の嫁さんは必ず座布団干しをする。はて何の用事の客が来たのかいな」
 と山せみが言った時、向こうから若い男が足早に近づいてきた。こざっぱりした着物姿のやや細身の体つきだ。背は高く、顔はやさしげで整っている。
「あれ、庄屋の郁太郎坊ちゃまじゃございませんか」
 目を覚ましたヨネがゴザから立ち上がり急に大きな声をあげた。
「はい、郁太郎ですが、どちら様で」
 と男は足を止めチラッと小夜を見て言った。
「弥助様の家のお嬢ちゃんの小夜様でございます」
 ヨネにそう言われて小夜は急いで自分も立ち上がり頭を下げた。
「郁太郎です」
「小夜でございます。いつも庄屋様には御世話になっております」
 小夜は濃い眉に涼しげな目をしてるが、郁太郎をじっと見て、すぐはにかんだ様に面を伏せた。
 郁太郎は桃の様な肌の小夜の横顔を驚いた様に見ていたが
「いやいや、ど、どういたしまして……」
 と、どもりながら
「絵を描いておられるのですな。出来上がりましたら、私にも見せて下され」
 とぺこりと頭を下げ、「では失礼を」と振り返りながら去って行った。
「確か18才になられた筈だけど。立派な殿御におなりになって、ねぇお嬢様」
 と、ヨネが弾んだ声でいい、小夜を見ると
「……」
 と、小夜は返事をせず、慌てて池の方を眺めた。

 見ていた山せみがゴロウにささやいた。
「若い二人は、どちらも気に入ったようだな。
どれこれからひとっ飛びして、庄屋の座布団様に、せんだってどんなお客を座らせたのか聞いてこよう」
 と、飛び去っていった。

 郁太郎が訪れたのは丸池村に続く『竹茂村』だった。こちらの村も名前通り、竹林がずっと続いていて昔から竹細工の盛んな所だ。郁太郎は父の庄屋に頼まれて『一竹屋』という店に注文した竹の花籠を見に来たのだった。
「いらっしゃいませ、今父は不在ですが」
 と迎えたのは14才になる一竹屋の一人娘『そよ』だった。細面で、少し淋しげで、きゃしゃな体つきだ。
「御願いしていた竹籠出来ましたか。父に言われて見せてもらいに伺いました」
 と、そよに案内されて竹の細工部屋に入っていった。
 あたり一面、天日乾燥された黄色の竹、切断された竹、割られたもの、面取りしてひごになったものが山積している。
前掛けをした三人の男が座り込んで、ひごを編んでいた。
「邦造さん、庄屋様の御注文の品、見せてあげて下さい」
 とそよに呼ばれた若い男が立ち上がった。郁太郎とそよは邦造に続いて隣の部屋へ入って行った。
 黒い大きい台の上に徳利型の大きな花籠が一つ大事そうにのっていた。
「きれいだ! 何と良い出来だ!」
 と、郁太郎は唸った。
 竹の生の色に漆が塗られ、飴色になった細かな細工に、「これが手で編まれたとは」と郁太郎は目を見張った。
 19才の邦造が主人から腕を見込まれて制作したのだった。
 郁太郎の御礼の言葉に邦造はピョコンと頭をさげたが、嬉しそうな顔をしただけで、すぐ作業所に戻っていった。
 そよは頬をぽっと染めて、視線は邦造の後ろ姿をじっと追っていた。

 郁太郎が風呂敷に包まれた花籠を大事そうに抱えながら、丸池の所まで戻って来た。夕陽が水面にきらめいているだけで、勿論小夜達や山せみの姿はもうなかった。郁太郎は小夜の顔を思い浮かべ『もう一度会いたかったな』と残念に思った。

 家に帰り着いた郁太郎に庄屋は
「ご苦労だった。ところで一竹屋の娘に会ったかい? どんな感じだった? お前気に入ったかい?」
 と、矢継ぎ早に問いかけた。
「おとっつぁん、待って下さい。何がなんだか訳がわからない。一人娘がどうしたって言うんだい。おとなしそうな娘だったけど……」
 と、怪訝な顔をした。
「五日前、竹茂村の長老達が見えたのは知っとるだろう。話は一竹屋の娘とお前の縁談の話じゃった。それで、お前に花籠を取りに行かせて、娘のそよさんの様子を見させたというわけじゃ」
 庄屋はにこにこと上機嫌で言った。
 それを聞いた郁太郎は
「呆れた。私はまだ18才じゃないですか。嫁取りなんぞ早すぎる。第一、私は自分の好いたおなごを自分で見つけて嫁にする」
 と、むっとした顔で言い返した。その時、郁太郎の頭に小夜のことがチラッとよぎっていた。
 足音高く部屋を出て行った郁太郎は、日頃優しい息子なので、庄屋はあっけにとられていた。

 一方、庄屋の立派な座布団から(先日のお客が誰で、何を話しに来たか)を聞いた山せみは気が気じゃなかった。
「郁太郎と小夜は好き合ってしまったはずじゃ。竹茂村の娘を嫁にもらう話などあってはならぬこと。早う朝になってくれ。小夜の座布団のゴロウに話さなくちゃ」
 と、夜の暗闇には飛べぬ鳥の身を恨んでいた。

 翌朝の未明、山せみは小夜の部屋の戸を嘴で突っついた。
「ゴロウ、ゴロウ、起きてくれ」
 の声にゴロウは部屋の戸を少し開けた。
「何だ、山せみどんか、一体何事だい」
と、ゴロウは声をひそめて聞いた。

事の次第を聞き
「そりゃ、大変だ。私の小夜様が悲しむ様な事になっては……」、
 と、ゴロウは眉根を曇らせた。

 十日ほどして、桜が満開になり丸池のほとりは薄桃色に華やいできた。
「小夜様、桜を描きに丸池にまいりましょう」
 ゴロウは小夜が縫い物を終えるのを待ち兼ねて、何度も誘った。
山せみが
「郁太郎殿が、庄屋の代理で桜祭りを如何にするか、丸池の回りを見て回る事になっている」と知らせてくれたからだ。
 
桜が丸い塊になって池の面に垂れていた。風が吹くと、花弁はハラハラと池の上に落ち花筏になった。
「きれい」
 小夜は、物も言わず、絵筆を取った。桜色に、薄紫に、煙る白に塗り分けていく。
 お供のヨネも見とれている。
 そこへ、桜の咲き誇る中から、郁太郎が忽然と現れた。
 小夜と郁太郎は同時に、アッと驚いた顔で
「これはこれは」
 と、会釈したが
「美しいですな、桜も貴女の絵も」
 と、郁太郎は小夜の横に、並んで座った。
 ゴザの上のゴロウは「しめた」と小躍りしている。
 ヨネも気をきかせて、鼻歌を歌いながら、その場を離れた。
 小夜は絵を描くのを止めて、郁太郎と話しをした。子供の頃の事、家族の事、これからしたいこと事など、話は尽きない。

 暫くして「向こう岸の桜の様子も見てこないと」と、名残惜しそうに去って行く郁太郎の姿を、小夜は見えなくなるまで見送っていた。
 絵を完成させようと、再び絵筆を取ろうとした時、どこからか、きな臭い臭いがしてきて、小夜は不安そうにあたりを見回した。
 ヨネが慌てふためいて駆け戻って来て
「お嬢様、庄、庄屋さんの屋敷から火と煙がでています」
 と、叫んだ。
 小夜は絵筆を落として、立ち上がった。
 見れば、五十間先あたりの庄屋の屋敷から火の手が上がっている。思わず走りだそうとする小夜の目に、火のついた着物のまま飛び出してきた人の姿が映った。
「ああっ!」
小夜は悲鳴を上げた。
 その時、
「小夜様、早く私を池の水でたっぷり濡らして、あの火のついた人にかぶせてください」
 と、ゴロウも絶叫した。
 小夜は必死になって池に駆け寄り、ゴロウを池に浸け、水を含ませた。後ろから、小夜が落ちないように、ヨネが支えている。
 ずっしり重くなったゴロウをかろうじて抱えて、小夜は全速力で走り、地面に倒れてしまった人の上に、ゴロウを押しかぶせた。
も一度、もう一度……
 五回目で火はやっと消えた。
 顔を見ると、郁太郎を小さい時から可愛がってきた、庭掃除の為吉だった。
「おじいさん、為吉さん、しっかりして」
 小夜は大声で呼びかけると、為吉は目を開き「うん、うん」と頷いた。
 為吉は手足に火傷はしているが、
「大丈夫です」
 と、小さい声だがはっきり答えた。

 知らせを聞き、郁太郎も飛んで帰ってきた。

 屋敷の方は、村々の消防団が集まってきて、死にものぐるいで水をかけ続けている。
 そして、遂に、火は消えた。
 何より良かったのは、郁太郎の家族は揃って外出していて、皆 無事だった事だ。
「良かった」
 と、小夜は呟いて、その場に崩れ落ちそうになった。走り寄った郁太郎は、びしょ濡れの小夜の体を胸に抱き取って、涙ぐんでいる。
「小夜さん、ありがとう。為吉を救ってくれて。貴女も無事で本当に良かった。貴女に何かあったら、私は生きていけない」
 と、耳元で囁いた。

 回りがおさまって来た時
「ちょっと、小夜様、私のこともお忘れなく」
 ゴロウの声にハッと我に返った小夜は、ゴロウのあちこちを調べた。所々焼けて、中の綿が見えている。黄と若緑の縞も、とびとびになっている。
「ありがとね、ゴロウ、あんたのお蔭で為吉さん助かったんだよ。ゴロウはオババ様に念入りに手当してもらい、元通りにするからね」
 小夜は焦げ臭いにおいのゴロウを抱きしめた。

 月日が流れ、庄屋の家も建て直され、今日は、郁太郎と小夜の婚礼の日だ。
 小夜の婚礼道具の中に、勿論、ゴロウも入っている。
 山せみがあたりを嬉しげに、飛び回っていた。

-fin-

テーマ:人間の体のどこかが変化するとんでもない話
平成二三年五月十日

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