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踏まれ続けの?百年

 奈良、東大寺戒壇堂でひそひそとした話声がする。四天王の一人、持国天は冑をつけ、目を見開き、口をへの字に曲げていたが、足の下に踏みつけている「邪鬼(じゃき)悪太郎」に話かけていた。
「おい、悪太郎、最近心を改めている様なので、約束していた踏みつけを解いてやる。何か一つ、世の中の悪を制裁してまいれ」
 顔を踏まれ、口をあけて呻いていた悪太郎「ほんとですか、ありがたや、ありがたや」
 と、浮わずった声で返事した。持国天は仏敵と戦う神の一人なので、人間に悪の心をもたらす邪鬼を捕えて踏みつけているのだ。
 持国天が足を持ち上げた。
「あーやれやれ」と悪太郎は顔を撫でさすり体を伸ばし、腰をトントンと叩いた。
 夜の闇にまぎれて悪太郎は奈良の町へ飛び出し『椿屋』という小間物屋に着いた。
 椿屋には『きよ美』という十八才の娘がいて戒壇堂へよくお参りに来ていた。母を早くに亡くし父親との二人暮らしだ。目は涼やかでチョンとつまんだ様な鼻が愛らしい。
「おいらの前で『かわいそうね。いつも踏まれていて。悪い心を改め早く自由におなりよ』
と、そっと顔を撫でてくれたあの子が、父親を亡くし困っていると持国天様が教えてくれた。これを助けなくては」と、悪太郎は武者震いし、呪文を唱えて絣の着物を着た人間に姿を変えた。朝一番に椿屋の戸を叩き
「丁稚に雇って下さい」と、きよ美に言った。
 一ヶ月前、きよ美の父親が仕入れに出た旅先で河の氾濫に巻き込まれ行方不明なのだった。悲しみにくれていたきよ美が「おとっつぁんの守っていた椿屋を背負っていくのだ」と思えるようになった矢先のことで、丁稚が入用だった。
 悪太郎は太郎どんと呼ばれる事になった。
 太郎どんは良く働いた。仕入れには付き添い、扇子、煙草盆、紅など一杯の風呂敷包みを難なくかついだ。店中くまなく掃除をする。
 ある日、だらけた生活をしている叔父の権三(ごんざ)が椿屋にやってきた。
「何だこいつは」と悪太郎を睨(ね)め付けた。
 きよ美が一人になったのをチャンスと椿屋を乗っ取る気だった。
「帳簿を見せてみい」と権三は横柄に言ったが、わずかだがお金も貯まっているのを見て「チッ、けど俺の助けがいる様になる」とほざいた。「太郎どんがいてくれるので椿屋は大丈夫です」きよ美は毅然として言った。
「様子を見に来てやった駄賃に煙草盆もらうぞ」と権三の伸ばした手を、悪太郎はしめあげ投げ飛ばした。一瞬、権三だけに見せた邪鬼の顔に権三は気を失った。
 悪太郎は生き生きと働き、椿屋は繁盛した。
 という訳でそれ以来、持国天の足下には邪鬼の姿はなく、お参りの人は首をかしげる。

-fin-

テーマ:男性が出産したならば  
 平成二十八年五月九日

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