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寝るっていい気持ち

 ある日の午後四時、電車の中で私の対向席に座っている24、5才の美女が今時珍しく本を読んでいた。が、居眠りを始めた。その内首が傾きだしストレートの長い髪の一部分が半分顔を隠す様に流れ、隣に座っている男性の肩に頭がつきそうになる。
―あっ、あたる。お隣さんに―
 という瞬間、彼女はスッと姿勢を立て直し、目をつぶったまま真っ直ぐに座った。
 一回、二回、三回、同じ様子が前で展開する。男性の方は好男子で美女の不思議な接近に迷惑そうではなく口元がゆるんでいる。
―得だなあ~美人は―
 と、思っていると
(ナンバー、ナンバ!)
 とアナウンスがあり、居眠りの美女はハッとした様に目を開きホーム名を確認し、脱兎の如くドアから飛び出した。
(お見事)
 と、私はその神業に感心しながら目前の男性を見た。彼は身体を斜めにして窓の方を向き、飛び出した彼女を目で追っている。
 窓越しに彼女も視線を感じたのか微苦笑して、男性に軽く会釈する。
 私は二㍍前の寸劇を見ているようでちょっとドキドキした。大きい駅で時間待ちが長いのか、まだ電車のドアは開いている。
 男性が中腰になりかけた時、ベルが鳴りドアは閉まった。ひょっとしたら、「恋」の始まりだったかもしれないのにと私はジリジリしていた。
 男性は眉根を寄せ、やや頬を紅潮させて膝のカバンをいじっている。
(もっと早く自分もホームに降りて声をかけるべきだったのだろうか)
 そういう忸怩(じくじ)たる思いの様子だった。

 乗り物の中で居眠りする時は、頭の底は半覚醒なのだろう。では、『居眠り』と『うたた寝』はどう違うのだろうか?
・座ったり、腰かけたりしたまま眠ることが『居眠り』
・寝るつもりでなく横になっているうちに眠ることが『うたた寝』
 と辞書にあった。
 そう言えば、子供の頃、祖母が「うたた寝したら、風邪ひくよ」とソファーの上で寝ころんでいた私に膝掛けをかけてくれた。普段と違う小さな寝床の暖かさがなんと心地良かったことか……そして知らぬ間に眠ってしまい「夕飯よ」と母におこされたのだった。
『うたた寝』を思い返せば尚更、『居眠り』との区別がよく判らない。だが、何やかや言っても『うたた寝』も『居眠り』同様気持ち良いものはない。

-fin-

テーマ:居眠り
平成二十八年五月

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